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最近知り合った若い美人女性に「Shopのお兄さんみたい」と言われて意識しまくってるHemakovichです。


またYouTubeに 動画を2つアップロードしました。
今回は全く同じ動画です。カットも音楽もほぼ同じ。
ただ画質や色合い、エフェクト処理が異なります。
今 回の作品はこれまでにストリーミングで公開したことは全くありません。
ただ例のごとく、僕の他のビデオクリップ作品にソースを頻繁に使いまわして います。


ご面倒でなければYouTubeの広い画面でご鑑賞下さい。
こちらをクリック


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お願い:YouTubeでご鑑賞される場合はスクリーン下部に「480p」とか「360p」というボタンがありますが、PCで通常のブロードバンド(ADSLなど)でご鑑賞される場合は「480p」にしておいてください。



この動画は1995年~1997年頃に撮影されたもので、パソコンでノンリニア編集を行ったのは2002年です。
S-VHSで撮影したものをDV ビデオにフォーマットしています。再生デッキが古かったのでノイズが多く見られます。
PC編集したものとしては3作目のクリップで、Twilight zone を完成させた直後に作ったものです。製作期間も割と早く1週間ぐらいで完成させたように思います。


前回も触れましたが、1997年頃に初めての自主ビデオ映画『カタストロフィ』を作りましたが、このクリップはその作品の一部を抜粋したものです。
だから前回upした catastrophe と同じカットが多く含まれます。ノンリニア編集での製作時期はそれよりも一年ほど早いですが。
このビデオクリップに関しては、いろんな他の作品にシークエンスを抜粋・引用していますが、元々はすべてこのクリップから派生したもので、同じシークエンスを扱ったものの中で最も早く製作した作品です。


今回YouTubeにupするにあたって、最近再編集を行ない明るさやコントラスト、各種エフェクトを施しました。それが Brazil です。
ただ再編集を行っていない2002年に作成した状態のままの方と、果たしてどちらが見る側にとってベターであるか迷いました。だから再編集を行ったものと、2002年に編集した状態のままのものと、両方をupしたわけです。後者の再編集なしのクリップが Brazil 2nd ver です。


主な再編集の要点は明るさ・コントラストの画質です。
2002年に製作した段階では僕のPCディスプレイはブラウン管(CRT)でした。その翌々年ぐらいに液晶パネルをモニターに使うようになったわけですが、ブラウン管と液晶パネルの画質の違いは動画編集においても画質の差に影響を蒙るわけです。
具体的には、ブラウン管で編集したものを液晶パネルで見ると映像が薄暗くコントラストがぼんやりと見えます。絵のきめ細かさに欠けシャープが甘い。
今回はこの点を再編集で重点的に改変しました。


あともう一つ、今回のクリップでは8ミリフィルムで撮影した映像があるのですが、そこにかなりのエフェクトを加えました。
電車内の場面で8ミリカラーフィルムの映像が出てきますが、これらはフィルムカメラで撮影したものを映写機で投影し、それをビデオカメラで撮影したものです。
ブラウン管画面だと8ミリフィルムの映像は馴染みやすく違和感が少ないのですが、液晶パネルだと色合いが滲み、画像の輪郭が崩れて相性が悪いように感じられます。
だからエフェクトにおいてもシャープを多くかけたり、ノイズを除去するような映像処理を多く使用しました。
ただ、YouTubeにupする段階でDV映像をMPG圧縮するのですが、mpg4にエンコードした際にこれらのエフェクトはあまり目立たなくなりました。


2002年に3度目のノンリニア編集の練習素材としてこれを作った時、僕はそれまでよりも多くの編集ソフトを使用しました。
具体的にはAdobeのソフトを使い始めたわけで、Adobe Photoshop、Adobe Premiere、Adobe After Effectsなど、専門的なヴィジュアルソフトを使い始めました。
特にAfter Effectsは画像の合成には欠かせないソフトで、この作品では主に後半のシークエンスで、男性の顔に多くの文字がスクロールするカットなどで初歩的に使っています。ただしPhotoshop以外のAdobeソフトは全てwindow95時代の頃の旧版でしたが。


このビデオクリップを作る以前は、ただノンリニアでカット編集したものに音楽を載せて雰囲気をつけるという作り方でしたが、この作品は最初からMusic PVのイメージを作る目的で製作しました。
だからコーネリアスの同曲はPVとして作りやすいものとして動画編集より先にサントラを決め、すべて音楽とシンクロするように作りました。


ただ、コンセプチュアルな要素は今回のクリップには全くありません。すべては手持ちの映像で曲のイメージに合致すると主観的に考えたものを選んだに過ぎません。
だからテロップで漢字が現れたりするわけですが、それは多分当時の私がこの曲にオリエンタルな雰囲気を感じ取ったから用いたわけで、あまり深い意味はないです。



何度も申し上げた通り、このビデオクリップは僕のビデオ映画の抜粋ではあるのですが、実際には映画本編で使用しなかったカット、NGカットやロケ撮影の合間に遊びで取ったOFFショットが多く含まれているんですね。
例えば2分53秒辺りからクリップ内の女性がカメラを直視しているカットが現れますが、これらなんかはロケ撮影を終えてから皆で喫茶店に入ったときに店内で気まぐれに彼女を撮影したものなんですね。
だから他のシークエンスとは全く違って笑みがこぼれるリラックスした表情であるわけです。
こういうソースは残しておくと後でいろんな使い道が出来るわけで、実際僕がこのノンリニア練習用ビデオクリップに使ったりしてるわけですが。



僕は実際に本編で使ったものよりも、日常場面に帰するところで撮影したこういう素材を割りと好んだりします。
なぜなら出演してくれる人たちは素人ながらそれなりに一生懸命イメージを凝らして表現をしてくれるわけですが、彼ら自身の印象深い動きや仕草ってのは演技というものをしていない場面で不意に現れたりするように思うからです。
そこらへんが演じ手のプロと素人の違いなのかもしれないですが。
こういういわゆる自主映画なんかに立ち会ってくれる人たちというのはモチベーションが高い人たちが多いわけです。だから彼らは撮影の場面でもいろんな自分の中のものを出してきてくれる。
ただモチベーションの高い人たちがテンションの高い撮影という時間の中にいると、その合間の日常的なひとこまの中でもその余韻が残り続けているわけなんですね。
だから不意にカメラを向けられても大胆な気持ちがカメラに向かってくるというか、そういうものが現れる。


いろいろな種類の映像を人間に関して撮影していると、映像というのはどのような用途であれ、すでに様々な意味でのシークエンスを構成しているんじゃないかと僕は思ったりします。それが例えば運動会のビデオであったとしても。










彼の歌を聴きたくなる時は決まって僕の中に諦念が帯びてくる。
自分の心が大きな振幅に振り回されそうになるときほど、僕の中で彼は僕自身を生きる ためのより良きイメージだ。
そのイメージを思って、僕は振幅を通過しようとする。
だけど、大抵は彼の歌のように足を掬い取られて、より良 きダメージに叩きつけられるんだけれども。


カルチャークラブの “Time” を検索してたら先日発見。


Senri’s Tapestry 洋楽訳詞集 Time★Culture Club

かなり秀抜な訳詞。英語詩を書くようになった今だから思うのかも。こういう言い換えが全くあざとく感じない。曲の取り方が変った。




Culture Club – Time (Clock Of The Heart)




ボーイ・ジョージは自分の書いた歌は小学生のラブソングみたいだと言ってたけど、僕は恋愛していない時でも “Time” を聴くと切なくなるのは自分に似た諦念に近いようなことを歌うから。
この訳詞は女性的な目線から割りと大人の言葉で書いてるけど今まで彼の歌をこういう角度で描かれなかったから新鮮。


例えば、

“This could be the best place yet. But you must overcome your fears”




この部分を、

「いい逃げ場所だったでしょう 今度はあなた自身を見つめる番 」

なんて訳され方は今までなかった。

ボーイ・ジョージは常にぬいぐるみ的なマスコットとして消費されてきたから。


この部分は


「僕はこんな気分を味わったことがない
でも君は自分の悲しみを乗り越えなきゃダメだよ」


みたいに、ナイーヴな男の子っぽい立場から訳されることが多かった。
でも実際にどちらの訳詞でも意味は叶う英語。


それに、

“Touch we touch was the heat too much, I felt I lost you from the start “

「触れ合う感触が あまりに熱すぎたから
はじめからあなたを失ったって 感じてたわ」


このような露骨に性的な色を滲ませた訳され方は殆ど禁忌だったと思う。ジョージはぬいぐるみだったから。
でもこの部分は誰かが禁忌を破って初めて分かるけど、性的なニュアンスから素朴に吐露された思い以外なにものでもない。


思えばボーイ・ジョージがゲイであることを公言したのはずっと後のことで、サッチャー政権時代はゲイを社会的に拘束する動き(同性愛を称揚する活動はすべて禁止するという、地方自治体法案第28節)が現れてソロになってからのジョージが “No clause28″ と歌ったりしてた訳で、ジョージのゲイセクシャリティは自己同一化されなかったしそれを許さない形で彼は大人しく消費されていたのだ。
だから “Time” ってのはジョージの立場からすればかなりギリギリのところで自己表明を薄っすらと伝えていた官能的な哀切だったのかもしれない。彼はゲイを公言した時に正直に告白したのは、

「バイであると嘘を言っていたのは苦しかった。でもゲイだと本当のこと言うのはもっとつらかった」

そういうようなことだった。




ネイティヴではない僕は幾つものバリアを通してこの歌を聴いていたのだけど、単純に切ないメロディと歌詞が気に入ってたのだけど、ジョージのソロも含めてもこれがフェイバリットソングなのはsexのアイデンティティを越えても普遍的なことを率直に表現してるから好きだった。
それにウェットというか、凄く「濡れてる」感じが好きだった。それは精神的な包容感と拒絶というせめぎ合いの意味でもあるし、ジョージのルックスに通ずるなにかマテリアルな幻惑でもあり、彼ののボーカルスタイルでもある。
“Sink me in a river of tears”(涙の川に沈む)という表現は言葉以上の響きをとても感じる。ジョージのマイノリティな立場も含む哀切感を僕が直感的に感じ取っていたとは思わないけど。


ボーイ・ジョージがゲイ公言のきっかけとなった “Crying game” なんかは同名映画の内容もあって、かなり彼の立場に沿った受け取り方を我々はしていたと思うけれど、これはオールディーズのカバー。
1998年にカルチャークラブがTV番組で “Time” を再演しているのを見て僕は金縛りに近いほどの感動を強く受けた。


【ニコニコ動画】Culture Club – Time (Live Storytellers 1998)




ジョージは相変わらず綺麗だったしアレンジが変ったわけでもない。
でも歌ってるジョージの表情がとても印象的だったのは、彼がこの曲を初めて歌った頃のような自己存在の縛りから解き放たれて自分の歌を自分らしく歌ってるような感じを受けたから。
以前よりもずっとハスキーなトーンで渋みがあって、ゆったり落ち着いて歌ってるんだけど、ずいぶん聞き手に幾分挑発的な衝動感を伴って “Time” が歌われてるような気がした。





最初に戻って、僕がwebで見つけた訳詞を秀抜だと思ったのは、まさにそういう自己存在の縛りから解き放たれたジョージが彼自身の人生を彼の言葉で歌っているようなイメージからの眼差しを感じたからだ。直情的な投げ返しを愛する者にしてしまう、ウェットに流される官能的歓びが強ければそれほど相手を喪失してしまう予感を抱いて自分になりきれないまま別け隔てられてしまう、そういう恋に対する憤りに似た哀切感を上手く説明している気がした。




それはボーイ・ジョージがゲイであることからくる阻害や哀しみから歌われるとは必ずしも思わない。
だってそれはゲイという括りから生まれる他者的・社会的な阻害を歌ってるんじゃないと思う。
自分自身のどうしようもない感情によって自分が阻害された哀しみを歌っているのだと思うから。




そしてギリギリの立場から描かれた表現と言うのはいつも縛りを持っているけど、だからこそ普遍的な色合いを帯びて多くの感動で迎えられることは少なくないと思う。



普遍的な色合いを持つということは常に開かれた扉から迎えられるとは思わない。




人は自分が日頃感じているほど自分が自由ではない。
僕は恋愛の局面でそれを多く感じる。

あり余る自由の中の選択によって、僕らは寂しさを知って、寂しさに裏打ちされた孤独の不自由を憶える。
僕らは物事を決定していくことで何かを生むけれども、
同時進行で確実に何かを失っていく顛末を幾度も見てきている筈なのだ。


“もっと沢山のことが出来たはずなのに 私達の「時」には 何もありはしない”



こういう諦念が自分でも驚くほど揺るがなくなった時、僕はその諦念への実直な表明に肩を寄せたい気持ちを静かに感じる。














When you read my “now”, as for my body, circulation stops, and my “now” may not be updated forever.
You must never believe trickery to share real time with me.
It is only temporary simultaneity in our “now”.


君が僕の「なう」を閲覧する時には、僕の肉体は循環が止まって、僕の「なう」は永久に更新されないかもしれない。
君は決してリアルタイムを僕と共有しているなんてペテンを信じちゃいけない。
僕らの「なう」は儚い同時性に過ぎない。




When I read your “now”, the “now” that you happened to meet may accord with the “now” that happened to me accidentally.
But it is not stuff such as the experience of mystical occurrences of the transpersonal to be called synchronicity.


The fact is just another we do the same thing, and to experience the same thing.

We don’t share the world.

Our experience is subordinate to the world.



僕が君の「なう」を閲覧する時、僕に起こった「なう」と君が出くわした「なう」が偶然一致するかもしれない。
だけどそれは共時性なんていうトランスパーソナルな神秘体験なんて代物じゃないさ。
僕らが同じことをやっていて、同じことを体験しているなんてことはありきたりなんだ。



僕らは世界を共有しているんじゃない。
僕らの体験は世界に従属しているのさ。




When your “now” meets my “now”,
When you have watched the projection of the crowd who cast freedom to the loop of this world,
You’ll know the fact that your time is raped thoroughly to the type zone threatening you.



And awful, you’ll become a become a slave of passion called the inconvenience while sending freedom off from mobile freely.



僕の「なう」と君の「なう」が出会う時、
もし君がこの世界のループに自由を投じる群衆の投影を見てしまったとき、
君は自分を脅迫してくるタイプゾーンから君の時間が万遍なく慰みものにされる事実を知ってしまうだろう。



そして君は自由にモバイルから自由を送り出しながら途轍もなく不自由という情欲の奴隷になる。






But never speak of some name sending a “now” of  timeline off.
Because your soul is deleted with one click entirely in a moment from the world.


We send a “now” off to somebody somewhere as always in this way.
While it is measured a quota of the production activity called “now”, we are exploited the life quickly like a late-night battery factory.



でも「なう」のタイムラインを送り出してくるどこかの名前を口にしてはいけないよ。
君の魂はクリック一つで一瞬にして完全にこの世から削除されるから。

僕らはこうしていつものように「なう」を誰かへどこかに送り出す。
僕らは「なう」という生産活動のノルマを計測されながら、深夜のバッテリー工場のように人生を搾取されている。






Hey, your “now” drifts.



Somebody may pick up your “now” sometime.

But even if I will pass away tomorrow in an apartment,
there is no “now” which looked after my death anywhere.




ほら、君の「なう」が漂流している。





君の「なう」はいつか誰かが拾うかもしれない。




だけど僕が明日マンションで息絶えても,
僕の最期を知る「なう」はこの世界にどこにもない。





Bill Evans & Jim Hall – Dream Gypsy

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